2016年

7月

15日

気になる樹

朝5時目が覚めていつも通り波をチェックしにいこうとすると、仲間から「今日はダメだね」と連絡が入る。

それならと急遽車を鬱蒼とした森の方向に向かわせクヌギの樹探しを始める。

いくつになってもこの「クワガタがいそうな樹を探す」時のドキドキはなんとも言えません。

正確には「何かがいそうな樹」を探しているのだと思います。

これは昆虫だけで無く何か神がかったすごい存在感のあるその「何か」がある樹を。

大きな樹に触れてみたり抱きついたりした時のあの安心感はなんとも言えません。

人々がどんな技術や知恵を身につけようとも到底敵わないという存在感に包まれた時に生まれてくるあれです。

どんなにいきがったって絶対に敵わない親の存在にも似てるかもしれませんね。


昔、妻から「生まれ変わったら何になりたい?」って聞かれた事がある。

確かまだ出会って間もない頃だったと思う。

「いやぁ、こういうタイプ苦手だなぁ」なんて思ったのを覚えています。

正直、自分は両親の生まれ変わりであって、子孫は自分の生まれ変わりになるものだと強く思っていたから「もう一回自分かな」なんて答えたんだと思う。

その時は妻は「大きな樹になりたい」って言ってました。

もう20年以上も前の事だけど今でも覚えています。

自分は「そうなんだ」って冷静に答えたけど心の中では「えー自分は絶対に樹なんて嫌だ!」って完全に否定していました。

何千年も森の中で動けないなんて自分にとっては地獄だと思ったから。

この時の会話は自分が樹を見て触れて抱きつく時にいつも頭に蘇ってきます。

不思議です、本当に何秒かのどうでもいい会話だったのに。

ただ時々こうやって樹をみていると樹の幹が人の顔のようい見えてきて、その顔が語りかけているようにも感じるのです。

「お前はまだわかってないな」って。

自分の利益を得る喜びより与える事の喜びを知れという事なんでしょうか。

欲など無く、ただ鳥や猿や昆虫また人間にも居場所を与え、そして葉は日陰をつくり微生物に住処を与え葉はやがて地球に栄養を与える。

やはり樹には到底敵いそうもありません。